日記帳スペシャル ベルギー&オランダへの旅 2

1999年3月16日(火)ルーヴェン レコーディング初日

 ゆっくり寝た。たくさん夢を見た。どの夢にも奏愛と鐘汰が出てくる。悲しいことに教授会の夢も見た。なんでブリュッセルまで来て教授会の夢なんて見るんだろ。(▼_▼) でもその教授会にもなぜか奏愛と鐘汰が出席していた。変な夢。

 ホテルで朝食。チーズとハム、ソーセージが美味い。φ(^_^) そしてまた空港に行ってみる。帰国時に買うお土産の下見だ。でもこれといった物は見つからず、テレフォンカードだけ買ってホテルに戻ってTVを見ることにする。

 部屋に戻ってみるとなんだか臭い。見ると靴の裏に犬の糞が! (゜o゜;; いったいこっちの犬は何を食っているんだか。まことに臭いのである。(>_<) 空港とホテルの間はわずかに20mほど。ホテルの部屋の窓から空港ビルが真正面に見える。

 その間で犬の糞を踏んづけたらしい。ベネルクスには犬を飼っている人が多く、しかも散歩時には日本のようにスコップとビニール袋を携帯するわけではないから常に足下に気をつけなければならないと聞いていたが、住宅地ではともかく空港の前でそういう目に遭うとは!

 ヤンが午後1時にホテルまで迎えに来てくれるというのでチェックアウトを済ませて待つ。ヤンはちょっと遅れたけどちゃんと来てくれた。彼の車は濃いグレーのベンツ。日本では珍しいディーゼルのマニュアルクラッチだ。レメンス音楽院があるルーヴェンまでドライブ。

 日本では信州などの山でしか見られない白樺の木がベネルクスでは平地にいっぱいある。ちょっと不思議な感じ。

 ルーヴェンに着いてまず昼食。ヤンが「ここは美味い魚を食わせるんだ」と言って連れていってくれたのは市庁舎の裏通りにある魚料理のレストラン。この店には英語メニューがなかった。ヤンが一つずつ英訳してくれる。ヤンは白身魚を、私は野菜ソースのサーモンを。北海で育ったサーモンはボリュームタップリでメチャクチャに美味い。φ(^_^)

 ヤンはしきりに「ポテトは口に合うか? ライスを食べたいのではないか? 食べたかったらあるかどうか聞いてみようか?」「箸がないと食べにくいのではないか?」「魚は美味いか?」「トイレは?」「時差ボケは大丈夫か?」などと私に気遣う。私がナイフとフォークを使って「美味い美味い」と言って食べているのを見て「よかった。トオルはヨーロッパのマナーをちゃんと身に付けているな」と安心した様子。時差ボケも「日頃から不規則な生活をしているから何ともない」と言ったら「おまえはストロング・マンだな」と驚かれた。

 そしてホテル・ビネンホフへ。「ビネンホフ」は「公園の近く」の意味なんだとか。昨日の都会的で近代的なホテルとはうって変わってアットホームな感じのホテルだ。

 ここでヤンにお土産を渡す。慌てることはなかったのだけれど荷物を減らしたかったから。(^-^;) ヤンとヤンの奥さんには藍染めのTシャツ、4人の子供たちにはやはり藍染めのハンカチを。いずれも楽器の柄のもので神戸の丸太やで購入したもの。「他の衣類と一緒に洗うと色が移るから気を付けて」「OK、妻に言っておく」。とても喜んでくれた。

 そして酒井 格から預かった新作「大仏と鹿」と「若草山のファンファーレ」の楽譜と初演のテープを渡す。楽譜はすでにデ・ハスケから出版されることが決定しているが、これは奈良県吹奏楽連盟が加盟団体用に印刷した「県外不出」の限定レアもの。(^-^;) シリアルナンバーは7。ラッキー7にヤン喜ぶ。もちろん連盟に特別に許可してもらっての「国外持ち出し」だ。

 午後3時にレメンス音楽院に到着。ルーヴェンは環状の道路に囲まれた小さな町なのだが、レメンス音楽院はその外側にあってとても自然環境に恵まれている。

 レメンス音楽院はオルガニストで作曲家だったヤーク・ニコラース・レメンス(1823-1881)が教会典礼音楽の音楽院として設立した学校。建物は修道院を改装したものである。そんなレメンス音楽院も今では教育のコースやジャズのコースまで含む総合的な音楽院である。右の写真はヤンがレッスンをする部屋の窓越しに撮ったもの。

 ヤンの対位法のレッスンを見学させてもらう。一人は病気で欠席、一人は教育のコースの女子学生、もう一人は今夜からのレコーディングで 1st クラリネットを吹く男子学生。いずれも機能和声に基づいたもので、女子学生は対位法の課題を、男子学生はカノンのレッスンだった。ヤンに聞くと、作曲科の学生はもっと古い様式のものも勉強するという。日本の音楽大学と同じだ。課題は集団授業でヤンお手製のものを配っておいて、それを個人レッスンで見る方法をとっているそうだ。

 レッスン室の設備はとても質素。ヤマハの小型のアップライトピアノ、5線黒板、長机と椅子だけ。ピアノの調律は良くない。

 レッスンは5時に終了。レコーディング・セッションのスタッフと会う。今回のレコーディングのスタッフは、監督にレメンス音楽院の教授で作曲家のヤン・ハーデルマン(以下ハーデルマン)、エンジニアにデ・ハスケ社のヨス・ブールランド(以下ヨス)、エンジニア補佐にマルダイン・エングレンホフ(以下マルダイン)。ヨスとマルダインはデ・ハスケのワゴン車で機材と共にはるばるオランダ・ヘーレンフェーンからやってきたのだ。

 5人でレメンス音楽院近くのレストラン(と言うより居酒屋といった感じ)で軽い食事をすませてレメンス音楽院に戻る。ハーデルマンがレメンス音楽院内部を案内してくれた。

 レメンス音楽院は小規模な音楽院(というよりもヨーロッパを基準に考えると日本の音楽大学がいずれも異常な大規模なんだが)ながらホールは大小2つ。さらにチャペルがある。特に驚いたのはチャペルだ。とにかく荘厳で美しい! 大小2つのオルガンがあり、大きい方のオルガンは MIDI でコントロールできるようにもなっている。古いものと新しいものの調和が素晴らしい。ちなみにレメンス音楽院には新旧大小合わせて18台ものオルガンがあるのだそうだ。

 レコーディングは大ホールで行われた。近代的なデザインのホールである。大ホールといってもそれほど大きくはない。ステージはバンドがならぶともうギリギリだ。客席は600席ちょっと。写真にはないが、客席背後には古いオルガンがある。ここでも古いものと新しいものの調和が見事だ。残響はとても良い。「レコーディングにとても適している」とハーデルマン。

 学生たちが使っている楽器は日本の音楽大学の学生が使うそれとあまり違いがない。むしろ質素だ。打楽器など備品を見るとティンパニはアダムス、バスドラムはラディック、グロッケンシュピールは STUDIO 49、シロフォンとヴィブラフォーンはサイトウ (Made in Japan!)、チャイムはディーガンとプレミア、シンバルはイスタンブール、ピアノはベーゼンドルファーのセミコンサート、チェレスタは Richard Burrows など。やはり日本でも見る楽器がほとんどだ。ムチが手作りなのは万国共通? (^-^;)

 編成はレコーディングということで、2月24日、25日の初演時よりも少し減らしたというが、それでも大きめで60人ほど。もちろんスコアに指定された楽器はすべて揃っているし、オプションのコントラバスーンとEb コントラバスクラリネットもある。さらにヤンがねつ造(?)したバス・サクソフォーンも加えられている。なお出版される楽譜にはバス・サクソフォーンは含まれない。

 ちなみに私が持っていったスマートメディア対応のデジカメはどこへ行っても驚かれた。「この小さなスマートメディアに70枚以上の写真が記録できるし、私は持っていないがもっと容量が大きいのもある」と言ったら機械好きのヨスやマルダインですら見るのは初めてらしく「本当か?!」と驚いていた。さらに撮った写真を液晶で見せてやると大いに盛り上がり「日本のテクノロジーはスゴイなぁ」と感心された。そもそもベネルクスの人々は日本人のように日常的に写真を撮る習慣はないし、フィルムや現像代はとても高い。日本ではどこでも見るあのプリクラもブリュッセル空港2階のゲームセンターの前で一度見ただけ。ましてやデジカメは普及していないようだ。

 レコーディングは7時から。まずはマイクチェック。ヨスとマルダインはとても手際が良く1時間ほどで準備完了。その間ヤンとバンドは最後の練習をし、私はホールとモニタールームの間を往復して生の音とスピーカー越しの音の感触の違いを確認する。

 いよいよ「展覧会の絵」のレコーディングの開始だ。冒頭から始まる。

 上の写真は2階のモニタールームの様子。左からエンジニア補佐のマルダイン、エンジニアのヨス、監督のハーデルマン。

 ミキシング・コンソールはサウンドクラフト600。かなり旧式の物で、これはレメンス音楽院の備品。モニタースピーカーはメイヤーサウンド。使用されたマイクロフォンはショップス、AKGなど。写真ではわかりづらいがミキシング・コンソールの向こう側にはモニターテレビがあり、指揮者が映し出されている。ハーデルマンの机にはマイクと小型のスピーカーがあり、指揮者近くのマイクとスピーカーと接続されていてインターフォンのように会話ができるようになっている。録音したばかりのテイクをステージ上のスピーカーでプレイバックすることもできる。ヤン・ヴァン・デル・ローストもヤン・ハーデルマンもお互いがお互いを「ヤン」と呼ぶのでややこしい。(^-^;)

 ヤンとハーデルマンの会話、そしてヤンからバンドへの指示はフラマン語。ヨスとマルダインはオランダ語だが、もともとフラマン語自体がオランダ語のベルギーなまりみたいなものなのでオランダ人とベルギー人の間のコミュニケーションはまったくスムースだ。彼らにとってはちょうど大阪人と東京人がそれぞれの言葉で会話しているような感じなのだろう。

 問題は彼らと私とのコミュニケーション。若者マルダインの英語はわかりやすいが、ヨスの英語はオランダなまりがあって聞き取りにくい。ハーデルマンの英語は強烈なドイツなまり(これは翌日にその理由が判明)。ヤンがいるときは彼らの英語をもう一度ヤンが英語で私に通訳(?)するというパターンが多かった。ヤンは何度も日本に来ているせいか、日本人に通じやすい英語のコツをわかってくれているようだ。

 レコーディングは日本でよくある通し録りではなく、ミス等があるたびに止めて細切れに録っていく。これで本当に編集できるんだろうかと不安になるほどの細切れ録りだ(6日後にそれが余計な心配だったことがわかる)。レメンス音楽院シンフォニック・バンドのサウンドはなかなかよろしい。

 レコーディングが始まっていきなり私から注文を出させてもらった。「テンポを遅めに、ミステリアスに、装飾音を生かして...小さなオルゴールが静かに鳴っているように」。そうして「プロムナード」「侏儒」「プロムナード」「古城」「プロムナード」を順調に収録。

 予定の10時を20分ほど過ぎて今日のセッションは終了。出入口では警備員のオッサンが何やらわめいている。私にもフラマン語で激しく訴えてくるが、もちろん何を言っているのかさっぱりわからん。でも「もう鍵をかけてしまうぞ!」と怒っていることだけは仕草から理解できる。どこの国も同じだな。(^-^;)

 5人で夕方と同じレストランへ。ヤンに昨日私がステラ・アルトワを飲んだと言ったら「そんなのじゃなくてスペシャルなビールを教えてやろう」と言われた。出てきたのはドゥヴェル。ハーデルマンはいつもこれなんだそうな。ムチャクチャに美味い。( ^_^)/□☆□\(^_^ ) でも飲んだらすぐに酔っぱらってきた。「酔ってきた」と言ったらハーデルマンは「これは危険なビール。実はワインに近いアルコール度数があるのだ」と。ヤンはすかさず「ハーデルマンは危険な男だから」と。爆笑。(^○^) しかし...先に言ってくれよな!

 ハーデルマンは私と同じくタバコ好き。「ベルギーで一番人気のあるタバコを教えて欲しい」と言うとバストスを教えてくれた。その彼もバストスである。1本もらって吸ってみる。ちょっとキツイけれど、かなり良い感じだ。明日どこかで買うことにしよう。

 写真は左から私、マルダイン、ヨス、ヤン、ハーデルマン。写真が霧がかかったみたいに見えるのはタバコの煙のせい。ベネルクスにはタバコ好きが多いのだ。みんな(特にハーデルマンは)陽気でまことに楽しい。冗談が途切れることがないのだ。彼らは仕事をしているときと飲んでいるときではぜんぜん顔が違う。彼らが話すフラマン語やオランダ語は理解できないが、発音が英語と似ている単語があったり、外来語として英単語が出てきたりするので話題のアウトラインはわかる。親切なヤンはしばしば英語で「今こういう話をしている」と説明してくれる。

 ハーデルマンとヨスはドゥヴェルを2杯も飲んでおった。私は大丈夫だったけれど、ここでもヤンはしきりに「時差ボケは大丈夫か?」などと私を気遣う。「まったく大丈夫」と言うと「お前はストロング・マンだな」とヤン。「いや、私はストレンジ・マンなんだ」と私。彼らの陽気さのおかげで私にもシャレを言う余裕が出てきた。でもむしろヤン自身が帰りたそうにしている感じもしたのでヤンと2人で先に店を出る。

 ホテルまで送ってもらう間、ヤンは感激を隠さない。「ロシアの作曲家の作品を日本のアレンジャーが編曲し、それをベルギーの指揮者とバンドが演奏し、オランダの出版社が録音と出版をして全世界に広める。音楽は国境を越える。素晴らしい!」と。「音楽は国境を越える」とは使い古された言葉だが、本当の意味でそれを実体験できたのは私にとって初めてだったかもしれない。「まったく私もそう感じる」。幸福感でいっぱい。

 0時20分にホテルに到着。家に電話してすぐ寝る。(-_-)゜zzz

3月15日(月) ブリュッセルへ
3月16日(火) ルーヴェン レコーディング初日

3月17日(水) ルーヴェン レコーディング2日目
3月18日(木) ルーヴェン レコーディング3日目
3月19日(金)その1 ルーヴェンからコンティッヒのヴァン・デル・ローストの家、アントワープへ
3月19日(金)その2 ブリュッセルでギデ吹奏楽団を鑑賞、アントワープへ
3月20日(土) アントワープからアムステルダムへ
3月21日(日) アムステルダム
3月22日(月)その1 アムステルダムからヘーレンフェーンのデ・ハスケ本社へ
3月22日(月)その2 ヴァン・デル・ローストの家へ
3月23日(火) ブリュッセルから日本へ